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分化というこの課題に取り組まなければ、私たちは混沌に陥るか、あるいは現代的ペルソナの役割の安っぽい模倣に陥ってしまうだけだ。そして、独自の人間になりうるチャンスも失うことになる。さらには、身体的な性のもつ霊的な意味をも理解し損なうだろう。もし私たちが性の違いというものを否定するなら、性的な経験を通してはっきりと伝わってくる他者性という事実をも否定してしまうことになるのだ。―p107
それに続く様々な段階で、参入者はだんだん裸にされていく。それはまるで、自分自身の新しいイメージを受け入れるために古い役割を脱ぎ捨てていくかのようである。最終段階では、儀式用の男根を容れた篭の覆いが彼女の目の前で取り除かれる。ここで彼女は初めて、神のもつ豊穣の力、すなわち原初的再生の力を眺めることができるのだ。しかしここにはつねに危険が伴っている。というのも、男性の性質のもつ磁力にあまりにも強く魅惑されすぎてしまうと、彼女は神の領域に留まったままとなり、女性の意識や女性の性質と適切な関係がもてなくなってしまうからである。
翼のある女神が長い恐ろしげな鞭を手にし、うやうやしく服従する参入者を監督する。この場面にはまた、知恵の帽子をかぶった年配の女性が登場する。彼女は儀式をすでに経験していて、その膝に参入者が頭を横たえている。彼女は新参入者を保護したりはしないが、そこには彼女の支えが存在している。
苦痛と恥ずかしさに満ちた儀式全体の体験が、参入者を人間の女性へと引き戻してくれる。彼女は自我肥大の状態にはもはやなく、魂の奥深い部分に神秘を抱くようになる。最後の場面で、参入者は美しい衣を身に纏い、着飾った姿で登場する。そしてエロスの鏡に向かって身繕いし、その鏡は、関係性という女性の本質を映し出す。彼女はアリアドネとデュオニュソスの聖なる結婚に参入して体験し、そしていまやそれを体現しているのである。彼女は変容を体験し、自身の内なる深遠な力を十分知り尽くし、まさに外に向かって一歩踏み出そうとしているのだ。—p91
彼は私を誘惑している。部屋に連れ込まれるが、そこには薬品ビンや医療器具がずらりと並んでいて、天井からは鉤爪のついた鎖が下がっている。床には血だまりが出来ていて、腐臭が漂っている。彼は猟奇殺人鬼だったのだ。彼は私を縛り付ける。色んなものでレイプされ、生きながら切り裂かれて行く。私は叫ぶ力も失っていく。
川がある。川べりは切り立った崖で、数センチの出っ張りがある。そこを勇気を出して進んで行く。私は王女を助け出さなければならない。彼女は誘拐され、監禁されている。私の助けを待っている。
①少女である自分の女性性を貶めている否定的なアニムスに名前を付けて、彼らの支配から逃れ、分化する。
②否定的なアニムスによって植え付けられた否定的な感情を浄化すること。これはトイレを掃除する夢などで現れる。
③傷付いた少女を助ける。癒す。
④美しい女性と女同士で愛を交わす。
⑤男性の訪問者を受け入れるイメージが現れる。
⑥その男性と愛を交わす。
女性の持つ豊穣な性質を、干涸びて不毛なままに放っておいたり、あるいは氷や雪で凍らせたままにしていると、否定的なアニムスが犠牲者を要求する。否定的なアニムスは自律的にはたらき、文字通り、絞め殺すような力で女性の自我を圧倒するのだ。そのような女性は絶望的になる。彼女の自我は女性の本質に根ざしておらず、それゆえセルフの力との生きたつながりももっていない。彼女の自我と、彼女の自尊心や自身を破壊しに出てくる強力な心的要素との違いを、彼女は自分自身で見分けることができない。―p174
マルドゥク神といい、またバビロニアだ。私はルーツ的に古代バビロニアと何かあるのだろうか?蟹座は、獅子座とともに、黄道星座のひとつとして、もう、5000年も前に昔のバビロニアで生まれたもっとも古い星座のひとつでもある。
蟹座の蟹は女神ヘラが使わした蟹とされるが、女神ヘラは月の女神の一つの姿であり、月に支配される海の水の象徴が蟹座である。
蟹座に春分点があった時代は、大洪水の時代だったといわれている。
それまでの文明が水に呑まれ、洪水の去った後に母系の農耕文明が生まれた。
蟹座は生命を育む子宮・海を意味すると同時に、太母神の支配する地下冥界も意味する。蟹座の支配星は月。母や家庭や血縁など自分のルーツを象徴し、何かを守り育てる星座である。
†蟹座(巨蟹宮)
女性はまずはじめに、不適切で抑圧的な態度や役割が自分を傷つけていることに気づいていく。それから彼女は、自分のからだや性のもつ大切さや美しさを経験するようになる。このことは、自我がセルフとつながるのを支えてくれる。女性の価値を切り下げるような態度とは、対決しなければならない。これは内なる邪悪ななにかが私自身について思い込ませようとすることと、本当に「私」に属することを、選別して行くプロセスなのだ。そうして後に、女神とその帰依者である聖娼の感覚が現れ、女性に愛することを許したり勇気づけたりするようになる。
女性が自分の未発達な女性的性質を気遣うようになると、彼女の自我はもっと強くなる。男性の「他者」である異邦人のアニムスを、喜んで迎えられるようになる。彼は女性を本質的で自立した女性性へとイニシエートし、その力強い位置から女性は、外的世界と内的世界の両方とかかわれるのだ。そして男性への恐れや、男性を「利用している」という罪悪感は、もう問題ではなくなる。―p185
女神に目覚めた女性は、適度な運動と食事を心がけ、からだをいたわる。そして化粧や服装、入浴の儀式を楽しむ。それは、自我の満足と関連した個人的アピール、というような単なる表面的な目的のためではなく、女性の本質を尊重することから生じてくる。彼女の美はまさにセルフとのいきいきとした関係に根ざしているのだ。
このような女性が処女なのである。これは肉体的条件とはなんの関係もなく、内的な態度と関係している。自分の存在を定義するのに、彼女はもはや周囲の反応に頼ったりしない。処女である女性は、たとえそれが父親であろうと、恋人、夫であろうと、男性の単なる片割れではない。彼女は自分自身の権利をもつ対等な存在である。そして「どうあるべきか」とか、「人はどう思うだろう」といったような抽象的な考えにとらわれなくなる。—p78
処女である女性、すなわち自分自身のための個人は、欲望を満たすためではなく、好かれ、認められるためでもなく、......さらに他者を支配する力を得たり、男性の興味や愛を得るために行動するのではない。彼女は自分のすることが真実だからそうするのだ......。処女としての彼女は、結婚していようといまいと、処女でない女性がするような考えには影響されない。つまり、人生の風向きに都合良く自分の帆を合わせようとしたりしないのだ......。彼女はあるがままに存在する。なぜならそれが彼女であるということだ。—エスター・ハーディング p79
狭い集合的態度を変えようとしない人、とくに父性性の法則にもとづいて生きている人にとって、心理的な成熟は望めない。女神を無視すると、不毛ですり減った人生を迎える結果となる。実感のなさと目的のなさが忍び寄ってくる。そして権力への強迫的な欲求が愛の喜びに取って代わるのだ。しかし女性の本質が、弄ぶおもちゃとしてではなく、取り込まれるべきエネルギーとして評価されるならば、心的生活が開花し、実り多い新しい展望が開けてくる。
ある種の心的エネルギーを表す原型的イメージ、愛の女神は、最も力強い女神である。彼女の領域は天から地、すなわち神秘的な神々の世界から私たちの外的な現実にまで及ぶ。笑いを愛する、光り輝く女神は、男女両性にとっての生死にかかわる心の原理である。彼女は、私たちを自分自身の感情に結びつけ、さらに他者の感情の本質に触れるのを可能にするエロスの活動的な原理そのものでもある。
女神は愛と喜びをもたらす。彼女は、自然で本能的な性衝動を洗練された愛の行為の技へと高める。「アフロディーテの本質は美と愛の力を通しての変容にある。その[心的な]力は、すべての変容に通じる」。―p86
女神(生命力、本能的な力)
★女性性の機能がもつ2つの原型的側面【アン・ウラノフ】
○活動的、ダイナミック、変容、エクスタシー、熱狂
○静的、自然のまま、受容、保護・保守的な母性
コチラのサイトに古代の女神の関連性について、とても興味深いことが書かれています。
http://plaza.rakuten.co.jp/michaeltan2/diary/201210160000/
息子である恋人の犠牲
愛する男性の死に嘆き、悲しみの内に諦めることを知る。
女神の強さは、成長と再生を保証するために最も大切なものを諦める能力のなかにある。もっとも深いところで感情を感じ取り、その喪の過程を拒否したりなどはしない。
神殿を訪れる異邦人(旅人)
女神は異邦人によって貫かれる。
聖婚
聖なる結婚の儀によって、女神と男神は結ばれ結合する。
聖娼
デュオニュソスの女性信者のような熱狂や踊り。予言と神秘的な知に満ちたエロティックなエクスタシー。
魂の喪失は、自らの本質の一部が引き裂かれ、遊離することと等しい。それはコンプレックスが解き放たれ、失踪することを意味している。その結果、コンプレックスは意識に対して暴君的な略奪者となり、その人全体を圧迫するようになる。そして、その人を軌道から逸脱させ、自己破壊へとどうしてもつながるような、盲目的んで一方的な行動に駆り立てるのである。—p147
ヒエロス・ガモス(聖婚)の儀式は宗教的なものである。自分自身の内なる本能の力を受け入れること、また同時に、それを占有することへのあらゆる要求を放棄すること、この二つを通して女性は自分自身との新しい関係を獲得する。彼女の中にある本能的な力は、彼女自身に属しているのではなく、人間を超えたもの、つまり彼女が仕えなければならない女神に属するものだと認識される。その女神に対し、彼女のからだは価値ある器とならねばならないのだ...。
この経験から他者を愛する能力が生まれる。このようなイニシエーションを経験する以前の彼女の愛というのは、単なる欲望に過ぎない...。しかし、古代における神殿での売春に相当するような内的体験を彼女が通過するなら、所有欲とか欲望といった要素は放棄され、新たな認識によって変質していく。その認識というのは、自分の女性としての性や本能が聖なる生命の力の表現であり、その力を体験することは、人間的なレベルでの充足などとはまったく違って、はかりしれない価値をもっているということである。—p114
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