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第7回 札幌国際短編映画祭2

つづき…

面白かったので、続けてI-Dを鑑賞

映画好きもびっくり I-D

グルコース


部屋の中に水草水槽持ち込んで自然を再現したり、盆栽とか日本庭園とか箱庭的な人工自然を身近に作り出して楽しむのが好きな、日本人的な感覚の作品だなぁ~と思って観てましたが…

フランスの方の作品だったよう。
まぁ、水草水槽の発祥の地といえばヨーロッパだけど、この部屋の中へ溢れ出していく自然っていうコンセプトって逆説的で面白いなぁ


ライトイヤーズ


これは面白かった
オープニングはハリウッド的に洗練された映像の普通のSFなんだけど…え?!そうくるの?ってストーリー展開に仰天w

以前書いたけど、この話はモロに「死ぬ準備をするための映画」そのものでした

まさに主人公が受け入れなければならなかったのは自らのだったのだから。


マーダー・マウス


この作品が一番衝撃的でした!!
肉食についてのドキュメンタリー。

我々人間がは家畜と呼ばれる動物たちを精肉して食べている訳だけど、実際スーパーに並ぶ肉はパッキングされていて生きていたようには感じられない。

元は生きていたのに…。
生きている彼らに会って、実際に自分の手で殺して捌いて食べてみよう!って思い立ったマデレイヌ・パリさんの作品。

野菜、魚、鶏、羊の順で殺していくのだけど…羊はかなり酷かった(T_T)
悶え苦しむ羊の首を、切れないナイフで切り取っていくシーンはあまりに酷くてゾッとしました。

本当の映像だってのもあるし、自分が殺してる気分になるのもあるけれど…それにしても酷かった。悶える羊を観ながら、知らず知らずの内に泣いている自分に気づきました。

本来はこうやってむごたらしく凄惨な血みどろの殺戮の後に、やっと美味しい食事タイムになるのが普通のハズなんだよなぁ…

そう考えると、本当に必要な時じゃないと肉は食べたくないよなぁと心の底から思った…のだけど

実際、普段我々は肉を流れで何気なく口にしている訳で…こうやって殺されていった動物たち、彼らの恐怖と苦しみをリアルに思い出しながら食べるのが礼儀というものだよなぁと、シミジミと感じ入りました

映像作品を観たってだけで、実際に自分で殺した訳ではないのだけど、それでもかなり感慨深い体験をさせていただきました…orz

こういう実態を見て突き詰めて考えていくと、殺戮を避けたいって意味ではやはりベジタリアンになりたくなるってのが本音です。でも植物だって食べられるために苦しむ訳だから(私たちには分かりづらいけれど)ベジタリアンになっても結局殺戮には変わりないってことだし。

感謝して、彼らの生前の姿を思い出して泣きながらいただくってのがこの世界での常識であって、礼儀だってことなんだろうな。

どれも命あった食べ物たち。自分の父や弟、愛する家族を食べるかのように食す、ということか…。


群れ

虫嫌いの人には、かなりゾッとする作品だったんじゃないでしょーか?

虫好きで、共感力のない子供嫌いな私のような人間にとっては、愉快なブラックコメディでしたがw

虫を叩きつぶしまくる怪物幼児が、徐々に虫たちに侵されていき…最期には…((゚゚((Д))゚゚))ガクガク

とてもじゃないが、言えない

…そして、人気の失せた大自然の静寂さ。人間などいなくても、森にはすべてが満ち満ちている…w


エンド・オブ・ザ・ワールド

捻りも何もないタイトルですが…

そのままです。
もっとそのエンドになる過程を緻密に描いてくれたら嬉しかったなぁ神秘的で美しい映像世界だっただけに、そこが残念です…

先祖から伝わる不思議棒(ダウジング)を使って水脈を探し出そうとする主人公。

しかし…掘り出したものは…欲望を呼ぶ物質"金"

欲に我を忘れて掘り続けようとする相棒。罰当たりだと、辞めさせようとする主人公のおじいさん。

夜空の星々が消えてゆく…。

そして、この世界の星々(希望の象徴)も消えていくのか!?

う~ん…でももし、夜空の星が何もなくなったとしても私は絶対に諦めないと思う。
星が自分の中に存在する限り。


静寂


異色の作品。トルコの社会派映画でした。

どうもトルコの囚人事情とか民族問題に疎いせいで、イマイチ背景が読み取れなかったのだけど、現実問題としてこういう〔トルコ語しか話してはならない〕っていう少数民族弾圧というか、異民族差別のようなものが存在しているんだなぁと。

もっと勉強が必要だなぁ。
世界は広いけれど、多民族間の弾圧や差別はどこもかしこも溢れかえってるし。そういう対立するように出来ている世の中だから仕方ないと言えばそれまでだけども。民族間に限らず、お互い相手の異質な部分とどうにか共存していく道は理解しかないんじゃないだろうか。

理解し合うのには、密なコミニケーションが必要で、それには思い込みを乗り越えて相手の本当の姿を見る努力が必要。

なによりも、未知のものへの恐怖を乗り越える勇気が必要だと思うけれど、突然そんな勇気を持つ者の方が少数だっていうのは分かり切っているから、少しずつ正しい知識を広めていく道が妥当なんだろうな。

問題はとても複雑化しているのだろうけど、本当に腹を割ってお互い相手の生活や問題を一緒に相手の立場になって体験すれば、私は理解し合うことは可能だと思う。
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