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聖娼ー永遠なる女性の姿(極私的メモ)

聖娼―永遠なる女性の姿聖娼―永遠なる女性の姿
(1998/12)
N. クォールズ‐コルベット

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先日のヘミシンクで見たエジプトの神殿でのタントラのイメージが妙に気になって、図書館で神殿娼婦について書かれた文献を片っ端から借りてきた。その中の一冊がこの本だ。

社会史的な本かと思いきや、ユング心理学系の著者による「聖娼」という元型についての本だった。

これは集合無意識内に息づく女性性について書かれた本だ。

チラッと捲っただけで、私はこの本を何よりも必要としていたんだ、ということが瞬間的に分かった。

この本に書かれている夢のイメージは、私の夢の中に現れていたイメージの数々とあまりにも酷似していたので、本当にこれにはビックリだった。

中学生時代、ひどい鬱だった時にもユング心理学の本にとても助けられたが、またしてもユングの夢分析で救われそうだ。



分化というこの課題に取り組まなければ、私たちは混沌に陥るか、あるいは現代的ペルソナの役割の安っぽい模倣に陥ってしまうだけだ。そして、独自の人間になりうるチャンスも失うことになる。さらには、身体的な性のもつ霊的な意味をも理解し損なうだろう。もし私たちが性の違いというものを否定するなら、性的な経験を通してはっきりと伝わってくる他者性という事実をも否定してしまうことになるのだ。―p107


これは私のことだ。

 それに続く様々な段階で、参入者はだんだん裸にされていく。それはまるで、自分自身の新しいイメージを受け入れるために古い役割を脱ぎ捨てていくかのようである。最終段階では、儀式用の男根を容れた篭の覆いが彼女の目の前で取り除かれる。ここで彼女は初めて、神のもつ豊穣の力、すなわち原初的再生の力を眺めることができるのだ。しかしここにはつねに危険が伴っている。というのも、男性の性質のもつ磁力にあまりにも強く魅惑されすぎてしまうと、彼女は神の領域に留まったままとなり、女性の意識や女性の性質と適切な関係がもてなくなってしまうからである。
 翼のある女神が長い恐ろしげな鞭を手にし、うやうやしく服従する参入者を監督する。この場面にはまた、知恵の帽子をかぶった年配の女性が登場する。彼女は儀式をすでに経験していて、その膝に参入者が頭を横たえている。彼女は新参入者を保護したりはしないが、そこには彼女の支えが存在している。
 苦痛と恥ずかしさに満ちた儀式全体の体験が、参入者を人間の女性へと引き戻してくれる。彼女は自我肥大の状態にはもはやなく、魂の奥深い部分に神秘を抱くようになる。最後の場面で、参入者は美しい衣を身に纏い、着飾った姿で登場する。そしてエロスの鏡に向かって身繕いし、その鏡は、関係性という女性の本質を映し出す。彼女はアリアドネとデュオニュソスの聖なる結婚に参入して体験し、そしていまやそれを体現しているのである。彼女は変容を体験し、自身の内なる深遠な力を十分知り尽くし、まさに外に向かって一歩踏み出そうとしているのだ。—p91


別な言い方で言うと、つまり私はずっとこの「神の領域に留まったまま」の状態にいたのだと思う。

私が今迄自分を分析して知っていたのは、私の性自認は中性、あるいは男女どちらでもある自己像に支えられているということだった。私は夢の中で男になったり女になったりする。私はそのどちらでもあり、どちらでもないという自認。これは私にとって非常に複雑な問題になってしまって、ひたすら考えるのを避け続けていた…。

しかし、この状態がなぜ起こり、なぜ自分で変えられないのかはずっと謎のままだったし、そのことでどうしようもなく無力感に打ちひしがれながらも、騙し騙し自分を鼓舞しながらやってきたのだった。



実際、女性におけるアニムスについて、私はこの本を読むまでほとんど何も知らなかったのだった。
大抵ユング心理学について書かれた本は、男性におけるアニマについての話題ばかりで、女性におけるアニムスについてはほんの触り程度に触れるだけだった。

アニムスについて読んで、私の女性性が、否定的なアニムスに貶められていることに気づくことができた。

いつも見る私の典型的な夢はこうだ。

彼は私を誘惑している。部屋に連れ込まれるが、そこには薬品ビンや医療器具がずらりと並んでいて、天井からは鉤爪のついた鎖が下がっている。床には血だまりが出来ていて、腐臭が漂っている。彼は猟奇殺人鬼だったのだ。彼は私を縛り付ける。色んなものでレイプされ、生きながら切り裂かれて行く。私は叫ぶ力も失っていく。



いつも私の夢の中では少女たちが犯され、拷問され、監禁されてきたのだった。私の少女たちを踏みにじってきたのは、ある時は気持ちの悪い老人だったり、中年太りの男性だったりした。そういった変態あるいは組織的にレイプされ、拷問され、弄ばれてきた。

こういった強姦者や強盗として現れる彼らは、私の中の否定的なアニムスたちだ。私の内にある女神は檻に閉じ込められ、レイプされボロボロに傷つけられ、死にかけた状態で放置されていた。私の自我は、否定的なアニムスによってひどく残忍な方法で支配され続けていた。

彼らが支配してきたからこそ、私の少女たち(未熟な女性性)は長いこと分化することが出来なかった。その結果、私は中性的な状態に留まるしかなかった。

昔見た夢があった。

川がある。川べりは切り立った崖で、数センチの出っ張りがある。そこを勇気を出して進んで行く。私は王女を助け出さなければならない。彼女は誘拐され、監禁されている。私の助けを待っている。



ずっとそうだったのだ、彼女はずっと助けを待ち続けていたのだ。

この物質世界で、女性性の象徴である地球が略奪されレイプされ続けているのと同じように、
私の中の聖なる女性性も同じように悲惨な状況下にあったのだ。


そして、私は<現実世界>でも男性のその野蛮な性質を愛そうとした。自分の身を犠牲にして暴力を受け入れたのだ。そうすれば彼らは満たされて、穏やかになり、それ以上私に危害を加えないのでは?という計算。
身を守るための打算だった。しかし、結果的にその行動が私の女性性を凌辱させ、貶めて力を封印するのには十分だった。

私には、女性として自然に生きているだけで非常に辛く不条理な生き様を余儀なくされるものだという印象が、強く植え付けられた。そして、どこにいても、誰も信じられなかったし、気を許せる相手などいなかった。

そして、「そうだ!それならば女性ではない者になれば良いのだ」と思ったのかもしれない。
しかし、男性の暴力性や女性の陰険さという両性のネガティヴな性質にほとほとウンザリしている私は、実際どちらの性別にもなりたくはなかった。しかしながら、両性のポジティヴな性質も知っているため、自分が両性であればバランスが取れるのでは?とも感じていた。そうこうしている内に、自分自身の性的なイメージはどんどん混乱していく。。。


しかし、夢は段々と変化して行った。
今ではその強姦者たちは陰を潜め、感情を失ったロボットのような規律にばかりこだわる無能な教師や、学校という強制収容所として夢に現れている。私はほぼ毎週、そこから逃げ出したり抗議の声を上げたりする夢を見る。

私はずっと男性性を崇めてきた。理性的であろうとし、感情を抑圧し、男性の中に入ろうとしていた。でもそれは間違った態度だった。あまりにも傷付き過ぎたのだ。

だからこそ、私は無意識の内に「フロム・ヘル」について荒ぶる男性的な神の力の危険性についてブログに書いたんだろう。なのに、その無意識からのメッセージを見逃してしまった。
http://blureye03.blog58.fc2.com/blog-entry-310.html

この漫画はまさに、男性性によって蹂躙される女性性を描いた神話だと思う。
だからこそ、私はそこに惹かれたのだろうと思う。
まさに、この物語の中の残虐性こそ、私が常に夢の中で体験してきたものに他ならない。
私の中の女性性は、長い間、この否定的な男性性(アニムス)の暴力的な権力から逃れようとしていたのだ。



ユングは個性化の過程について、まずは性的に未分化の状態—つまり中性的な時期が有り、その後に女性と男性という自覚が生まれて分化し、最終的にまた結合することによって個性化が完了する...ということを確か言っていたはず。

著者は、女性が女性性を発達させる段階についてこう書いている。

①少女である自分の女性性を貶めている否定的なアニムスに名前を付けて、彼らの支配から逃れ、分化する。

②否定的なアニムスによって植え付けられた否定的な感情を浄化すること。これはトイレを掃除する夢などで現れる。

③傷付いた少女を助ける。癒す。

④美しい女性と女同士で愛を交わす。

⑤男性の訪問者を受け入れるイメージが現れる。

⑥その男性と愛を交わす。



①について

女性の持つ豊穣な性質を、干涸びて不毛なままに放っておいたり、あるいは氷や雪で凍らせたままにしていると、否定的なアニムスが犠牲者を要求する。否定的なアニムスは自律的にはたらき、文字通り、絞め殺すような力で女性の自我を圧倒するのだ。そのような女性は絶望的になる。彼女の自我は女性の本質に根ざしておらず、それゆえセルフの力との生きたつながりももっていない。彼女の自我と、彼女の自尊心や自身を破壊しに出てくる強力な心的要素との違いを、彼女は自分自身で見分けることができない。―p174


よく雪の積もった冬の夢を見た。現実世界では夏の時期だったこともある。そこでは母が必死に畑を耕していた。雪が積もっているのにやめなかった。
そして蟹がよく現れた。蟹はやんちゃな少年に投げつけられてボロボロにされていた。外に放り出されたりもしていた。

これはこう読み取れると思う。
★母=私の母性的女性性
一生懸命無駄とも思える畑作業を続ける母の姿は、私の女性性の「母親」の部分だったのだろう。
★蟹=母性や女性性の象徴
★蟹を投げつける少年たち=未発達で否定的なアニムス
(私は否定的なアニムスたちに「強姦者たち」という名前を付けることにする。)

蟹座は、獅子座とともに、黄道星座のひとつとして、もう、5000年も前に昔のバビロニアで生まれたもっとも古い星座のひとつでもある。
蟹座の蟹は女神ヘラが使わした蟹とされるが、女神ヘラは月の女神の一つの姿であり、月に支配される海の水の象徴が蟹座である。
蟹座に春分点があった時代は、大洪水の時代だったといわれている。
それまでの文明が水に呑まれ、洪水の去った後に母系の農耕文明が生まれた。
蟹座は生命を育む子宮・海を意味すると同時に、太母神の支配する地下冥界も意味する。蟹座の支配星は月。母や家庭や血縁など自分のルーツを象徴し、何かを守り育てる星座である。
†蟹座(巨蟹宮)

マルドゥク神といい、またバビロニアだ。私はルーツ的に古代バビロニアと何かあるのだろうか?

②について
私はトイレを掃除する夢はいつも見る。
先日の夢は印象的だった。
http://higumanomori.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

③について
少女を癒す夢は見たことがないけれど、血まみれの白いドレスを着た美しい瀕死の少女が助けを求めてやってきて、自分の部屋に匿った夢はとても印象に残っている。

④について
レズビアンなエロティックで甘美な夢もよく見る。少し年上の美しい娼婦や、インド美女や女神様がよく夢に現れて私を誘惑し、導いてくれる。

⑤について
男性を受け入れたり、誘ったり、セックスする夢もよく見るが、男性と愛し合う時は私は必ず男になっている。女性と愛し合う時は必ず女になっているように。

そして、もしかすると、私にとっての【聖娼】とは、男娼としての方が頻繁に現れているのかもしれない。男娼としての女性性。これが私にとって混乱の原因になっている元型なのかもしれない。

これは否定的なアニムス側からの非常に巧妙な罠かもしれない。男娼は愛の中で受容的になれたとしても、結局の所は男性なのだ。しかも私の夢の中では平均的な男性よりも男らしい男だったりする。
男同士でどんなに受容的になれたとしても、自分の現実の体と逆の性別でいることから起きるフラストレーションによって、自分の女性としての身体を否定していく結果に繋がっていく。そして、また初めからの堂々巡りだ。

きっと女より女らしいオネェさんとしての自己イメージだったなら、もっとうまく女性性を開花させる元型として作用したのだろうけれど。


何にせよ...

女性はまずはじめに、不適切で抑圧的な態度や役割が自分を傷つけていることに気づいていく。それから彼女は、自分のからだや性のもつ大切さや美しさを経験するようになる。このことは、自我がセルフとつながるのを支えてくれる。女性の価値を切り下げるような態度とは、対決しなければならない。これは内なる邪悪ななにかが私自身について思い込ませようとすることと、本当に「私」に属することを、選別して行くプロセスなのだ。そうして後に、女神とその帰依者である聖娼の感覚が現れ、女性に愛することを許したり勇気づけたりするようになる。
女性が自分の未発達な女性的性質を気遣うようになると、彼女の自我はもっと強くなる。男性の「他者」である異邦人のアニムスを、喜んで迎えられるようになる。彼は女性を本質的で自立した女性性へとイニシエートし、その力強い位置から女性は、外的世界と内的世界の両方とかかわれるのだ。そして男性への恐れや、男性を「利用している」という罪悪感は、もう問題ではなくなる。―p185


この文章の通り、まず私がするべきことは自分の中の肯定的な女神像を意識的にイメージし、女性性の力を取り込んで力を高めることだと思う。そうすることで、アニムスよりも強くなるのだ。女神を讃え、彼女の美しさや豊かさと自分自身を結びつけられれば、きっと道は開けるはずだ。
女性性の力が高まれば、女性の体で男性を受け入れることへの抵抗感や拒絶反応も本当になくなるのかもしれない。


 女神に目覚めた女性は、適度な運動と食事を心がけ、からだをいたわる。そして化粧や服装、入浴の儀式を楽しむ。それは、自我の満足と関連した個人的アピール、というような単なる表面的な目的のためではなく、女性の本質を尊重することから生じてくる。彼女の美はまさにセルフとのいきいきとした関係に根ざしているのだ。
 このような女性が処女なのである。これは肉体的条件とはなんの関係もなく、内的な態度と関係している。自分の存在を定義するのに、彼女はもはや周囲の反応に頼ったりしない。処女である女性は、たとえそれが父親であろうと、恋人、夫であろうと、男性の単なる片割れではない。彼女は自分自身の権利をもつ対等な存在である。そして「どうあるべきか」とか、「人はどう思うだろう」といったような抽象的な考えにとらわれなくなる。—p78



私はやっと鍵を手に入れたのだと思う。

処女である女性、すなわち自分自身のための個人は、欲望を満たすためではなく、好かれ、認められるためでもなく、......さらに他者を支配する力を得たり、男性の興味や愛を得るために行動するのではない。彼女は自分のすることが真実だからそうするのだ......。処女としての彼女は、結婚していようといまいと、処女でない女性がするような考えには影響されない。つまり、人生の風向きに都合良く自分の帆を合わせようとしたりしないのだ......。彼女はあるがままに存在する。なぜならそれが彼女であるということだ。—エスター・ハーディング p79



6月に東京出張で見たエジプト美術館のアミュレットたち。
その中で、一際私が目を奪われたのはハトホル神のアミュレットだった。
聖なる雌牛の神、豊穣と愛の女神であるハトホル神。
この本の著者が言うように、内なる肯定的な女神のイメージを意識的に復活させることによって、失われた女神の力が戻ってくるのだと。

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 狭い集合的態度を変えようとしない人、とくに父性性の法則にもとづいて生きている人にとって、心理的な成熟は望めない。女神を無視すると、不毛ですり減った人生を迎える結果となる。実感のなさと目的のなさが忍び寄ってくる。そして権力への強迫的な欲求が愛の喜びに取って代わるのだ。しかし女性の本質が、弄ぶおもちゃとしてではなく、取り込まれるべきエネルギーとして評価されるならば、心的生活が開花し、実り多い新しい展望が開けてくる。
 ある種の心的エネルギーを表す原型的イメージ、愛の女神は、最も力強い女神である。彼女の領域は天から地、すなわち神秘的な神々の世界から私たちの外的な現実にまで及ぶ。笑いを愛する、光り輝く女神は、男女両性にとっての生死にかかわる心の原理である。彼女は、私たちを自分自身の感情に結びつけ、さらに他者の感情の本質に触れるのを可能にするエロスの活動的な原理そのものでもある。
 女神は愛と喜びをもたらす。彼女は、自然で本能的な性衝動を洗練された愛の行為の技へと高める。「アフロディーテの本質は美と愛の力を通しての変容にある。その[心的な]力は、すべての変容に通じる」。―p86



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女神(生命力、本能的な力) 
★女性性の機能がもつ2つの原型的側面【アン・ウラノフ】
○活動的、ダイナミック、変容、エクスタシー、熱狂
○静的、自然のまま、受容、保護・保守的な母性

コチラのサイトに古代の女神の関連性について、とても興味深いことが書かれています。
http://plaza.rakuten.co.jp/michaeltan2/diary/201210160000/

息子である恋人の犠牲
愛する男性の死に嘆き、悲しみの内に諦めることを知る。
女神の強さは、成長と再生を保証するために最も大切なものを諦める能力のなかにある。もっとも深いところで感情を感じ取り、その喪の過程を拒否したりなどはしない。

神殿を訪れる異邦人(旅人)
女神は異邦人によって貫かれる。

聖婚
聖なる結婚の儀によって、女神と男神は結ばれ結合する。

聖娼
デュオニュソスの女性信者のような熱狂や踊り。予言と神秘的な知に満ちたエロティックなエクスタシー。




本書でも、ユングがこの共通点についてこう述べている。

魂の喪失は、自らの本質の一部が引き裂かれ、遊離することと等しい。それはコンプレックスが解き放たれ、失踪することを意味している。その結果、コンプレックスは意識に対して暴君的な略奪者となり、その人全体を圧迫するようになる。そして、その人を軌道から逸脱させ、自己破壊へとどうしてもつながるような、盲目的んで一方的な行動に駆り立てるのである。—p147




やっと自分自身になれる時が来たのかもしれない。

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女性にとっての聖娼

 ヒエロス・ガモス(聖婚)の儀式は宗教的なものである。自分自身の内なる本能の力を受け入れること、また同時に、それを占有することへのあらゆる要求を放棄すること、この二つを通して女性は自分自身との新しい関係を獲得する。彼女の中にある本能的な力は、彼女自身に属しているのではなく、人間を超えたもの、つまり彼女が仕えなければならない女神に属するものだと認識される。その女神に対し、彼女のからだは価値ある器とならねばならないのだ...。
 この経験から他者を愛する能力が生まれる。このようなイニシエーションを経験する以前の彼女の愛というのは、単なる欲望に過ぎない...。しかし、古代における神殿での売春に相当するような内的体験を彼女が通過するなら、所有欲とか欲望といった要素は放棄され、新たな認識によって変質していく。その認識というのは、自分の女性としての性や本能が聖なる生命の力の表現であり、その力を体験することは、人間的なレベルでの充足などとはまったく違って、はかりしれない価値をもっているということである。—p114

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